沖揚音頭について

◆沖揚げ音頭とは

沖揚げ音頭とは、「鰊場作業唄(にしんばさぎょううた)」とも言われ、鰊漁に従事する漁業者たちによって唄われた一連の作業歌の事です。 「船漕ぎ音頭」「網起こし音頭」「沖揚げ音頭」「子叩き音頭」の4つの作業唄で構成され、これら一連の唄を総称して沖揚げ音頭といいます。 荒海で厳しい寒気と眠気と闘い、潮水と銀輪にまみれながら苦しみに耐え、船頭の波音で(はおい)で漁夫の意気を一つにする為に唄われた作業歌ですので力強い男唄となっています。

明治から、昭和20年の終わり頃まで、南部・津軽・秋田の人々が、北海道の鰊漁場へ仕事を求め出かけました。 北海道の日本海沿岸は春先になると鰊が大量に押し寄せて産卵をするので、鰊漁が大変賑わっていました。 各地から集まってくる漁師を束ねる網元の家は「鰊御殿」とも言われ、当時の活況ぶりを思わせるものとなっています。

野辺地町からも多くの人々が出稼ぎ漁師として、北海道の鰊漁へ出かけていました。 鰊漁最盛期に働きに行った人達がこの沖揚げ音頭を持ち帰り「祝い歌」として歌い継がれ、現在では、「のへじ祇園まつり」の中でその一部を聞くことができます。

のへじ祇園祭り
現在でも、のへじ祇園祭りでは山車を引く際、引き手が沖揚げ音頭の中の「網おこし音頭」を唄いながら声を掛け合い山車を引いて歩きます。(一部の山車に限ります)
 

◆野辺地町とソーラン節

今では全国的に有名な「ソーラン節」ですが、もとをただせば沖揚げ音頭の一部から変化した唄とされています。 その発祥の地(北海道内5ヶ所程が発祥の地と云われている)北海道積丹(しゃこたん)町の町史には、『民謡研究家町田佳声が昭和12年に青森県上北郡野辺地町で収集したという「荷上げ木遣り歌」はソーラン節の原歌だといわれている。この説はかなり有力なものであって、鰊漁業の最盛期に集団出稼ぎに渡道した若い衆たちによって運ばれて定着したものだといわれている』との資料が残っていました。

これを受けて平成20年5月28日に、実際に鰊場へ働きに出かけた人達が中心となり、保存会を立ち上げました。 そして平成22年6月27日に積丹町のイベント「ソーラン味覚祭り」へ参加する運びとなりました。 これを機に町内のイベントはもちろん、郷土芸能の保存・伝承としてさまざまな発表会へ参加させて頂いております。

野辺地沖揚音頭保存会

◆西谷栄治(利尻町立博物館学芸課長)*青森で利尻を探す旅

青森県野辺地(のへじ)町で郷土史を調べている方から連絡があった。かつて利尻島などのニシン漁場で働いた人たちが、「のへじ沖揚音頭保存会」をつくったという。

2005年に野辺地町で、利尻島のニシン場に働きに来た人たちの聞き取り調査をした。なぜ、野辺地町に行ったかというと、旧仙法志村役場(現・利尻町)の行政資料「鰊(にしん)漁場漁夫入稼名簿」で、島外から仙法志村のニシン漁場に働きに来た人たちの中で野辺地町からの人が多かったからだ。ちょうどこのとき、郷土史を調べている方から「野辺地町から利尻島のニシン場に働きに行った人がいる、もっと詳しく知りたい」という連絡が来たこともあって野辺地町に行った。

1948年から9年間に野辺地町から仙法志村に533人が来ていた。さらに、野辺地町が属する青森県上北郡からは4317人おり、利尻島に来た人全体の64・6%を占めていた。利尻島のニシン場で働いていた人たちは、日本海側の津軽からだとばかり思いこんでいたのが、そうではなかった。その謎を探るために、野辺地町を中心に歩いてみた。津軽などの日本海側にはリンゴやコメ、酒などがあった。しかし、太平洋側は農産物に適さない東北からの冷たい風が吹くので、常に出稼ぎをしている地域であった。

ニシン漁が終わってから五十年を超える。青森や利尻島でも時の流れの中でニシン漁は風化しつつあるが、本来は語り継がれるべき歴史だ。もう一度、青森に行って利尻とニシン・出稼ぎの人たちを探してみたい。

北海道新聞コラム北極星(2008/10/02)より

コメントは受け付けていません。